「淡路島一周ウォーク」 第1回 <道の駅あわじ〜野島断層保存館> 10.9km 2014年3月21日 淡路島一周ウォーク第1回に参加しました。 月1回のペースで、全部で15回のようです。 淡路島を西海岸(西浦)から、反時計回りに歩きます。 今日は冷たい西風が吹き、くじけそうになりましたが、大人ですから我慢しました。やはり、東海岸(東浦)の方が気候は穏やかなようです。 玉ねぎスープ、玉ねぎドレッシング、玉ねぎラーメンの他、淡路島ちりめんも購入しました。 新玉ねぎの収穫は4月になってからだそうです。 なお、びわソフトも、鳴門金時どら焼きも食しました。今回は食にこだわってみました。 松帆の浦は淡路島の最北端。寒い西風が吹き、身を隠すところがないので困りました。 人々が海峡の荒れたときに風待ち、潮待ちをしたのが、松帆(待つ帆)の由来という説明がありました。 藤原定家の歌「来ぬ人を松帆の浦の夕凪(ゆうなぎ)に 焼くや藻汐(もしお)の身もこがれつつ」をはじめ、松帆の浦を詠んだ多くの歌が残されており、古歌に名高い場所だそうです。 江埼灯台(江崎灯台)は1867年(慶応3年)徳川幕府が兵庫開港のの備えとして欧米列強に約束した5つの灯台の一つで 石造りの灯台としては日本で3番目に古く、歴史的・文化的に価値のある建造物です。なお、この写真は、階段に恐れをなして下で留守番をしていたときに 灯台まで上ったツレがガラケー(携帯)で撮ったものです。 江埼灯台の次に立ち寄ったのが、大川公園です。残念ながら、貴重な「貴船神社遺跡」の説明板が壊れたままでした。 ゴールは「北淡震災記念公園」です。風車がブルンブルンと音を立てて回っていました。 「野島断層保存館」へは何度か入ったことがあるので、今回は省略しました。 |
第2回 <野島断層保存館〜多賀の浜海水浴場> 14.3km 2014年4月12日 いつもなら先頭近くを歩くんですが、本日は真ん中あたりにしました。 おかげで、ガイドさんの説明はほとんど聞き取れませんでした。 「淡路島観光ガイド・あわじナビ」などのホームページから補うことにしました。 なお、ウォークの前に「あわじ花さじき」と訪れ、ウォークの後「野島スコーラ」へ行きました。 枯木神社:日本最初の香木伝来伝承地。推古天皇3年(595年)夏4月、沈水(じみ)と呼ばれる香木が南天竺(東南アジア)から漂着したとある。 尾崎八幡神社:地震により、拝殿は全壊、本殿も半壊という被害を受けたが、本格的に復興したようです。 野島スコーラの建物:「のじまscuola」と書いてありますが、イタリア語であることが分かりました。 本当はスクオーラの方が正しいと思います。とりあえず、スコラ、スカラ、スクールに近いから「学校」であることは分かっています。 廃校となった野島小学校を利用して造られました。淡路島話題の観光スポットのようです。 野島スコーラ1階の売店です。 「島の隠れ家カフェ」「夕日を望むレストラン」「焼きたて自家製パン」「産地直売マーケット」で、すべてを表していると思います。 既に「あわじ花さじき」で新玉ねぎを買ったので、ここでは玉ねぎスープを買い、ジェラートを頂きました。 |
第3回<多賀海浜公園〜都志海水浴場> 11.5km 2014年5月10日 さわやかな五月晴れの日に、快適なウォークを楽しみました。 途中、平見神社では100段の階段を登ることになりましたが、我慢して登りました。 本日の距離は11,5kmでしたが、まだまだ余裕がありました。 こんな単調な道をひたすら歩きます。ほぼ先頭集団にいました。ウォーキングのスタッフがつきますが、そのペースが遅いので困ります。 ここがゴール地点なり。高田屋嘉兵衛については、司馬遼太郎の「菜の花の沖」がお薦めです。 ここしばらく、前から8番目が多かったような気がしますが、この日は前から2番目の座席でした。 |
第4回<都志海水浴場〜湊> 14km 2014年6月14日 淡路島一周ウォークの第4回です。さほど暑いとは思いませんでした。海のそばで、海からの風のおかげだと思います。UVカット効果や高い速乾性を備えたウエアのおかげでもあります。 前回の続きで、「高田屋嘉兵衛翁記念館」の駐車場から出発しました。丘の上の「ウェルネスパーク五色 高田屋嘉兵衛公園」などへ行くこともなく、 足早に出発しましたが、ウォークが中心ですから、仕方ありません。都志川に架かる橋の「高田屋印」、こんな写真で我慢しましょう。 緑の道しるべ「角川公園」にある休憩所は、船の形をしているように見えますが、決して船ではありません。 「サンセットパーク五色 夕日が丘公園」にて、昼食は冷房の効いたバスの中でした。 食事後に移動した見晴らしのいい丘に「石造舟だんじり」が飾ってあります。実物大の模型です。 海から離れたところを歩くことが多かったのですが、五色浜でようやく海沿いを歩くことができました。 「名勝 慶野松原」に突入していきます。距離も長く、かなりたくさんの松が生えていました。確か、5万本と説明していました。 「名勝 慶野松原」の石柱です。その手前には、延々と、恋人たちの「瓦」が飾ってあります。「プロポーズ街道」と命名されているようです。 「瓦」のオブジェでしょうね。ちゃんと見ていませんが、手形を押した瓦が敷き詰められているようです。「ふれ愛かわら舞台」というようです。 慶野松原のそばには製瓦所群があり、「御原橋」は瓦橋とも呼ばれているようです。瓦のテラコッタ、納得です。 この後しばらく歩いたところが湊公園、ゴールでした。 |
第5回<湊公園〜丸山漁港・魚彩館> 10km 2014年7月12日 淡路島一周ウォークの第5回です。7月と9月は暑さとの闘いです。だけ 結論から言えば、今日はまだマシだったような気がしますが、(さすがに、8月は中止で‥)次回の9月6日が心配です。 近ごろの9月の暑さは半端じゃないと思います。 昼食のお弁当を、冷房の効いたバス内で食べられるだけマシです。 なんとか、鳴門海峡大橋が見えるところまで歩いてきました。 |
第6回<魚彩館〜道の駅うずしお> 10km 2014年9月6日 8月はお休みだったので、2ヶ月ぶりの淡路島ウォークでした。 ムシムシして、暑くて、急な登りが続いて、挫けそうになりましたが、なんとか10km歩いて、鳴門岬までたどり着きました。 そこで、雨が降ってきました。 大阪に戻って、地下鉄の駅から帰るときに、ツレが自転車でこけて、傘がつぶれて、雨に濡れながら帰宅したそうです。 駐輪場でぐずぐずしていたわたしは、何も知らないまま遅れて帰りました。(くわばらくわばら‥) 淡路島生まれの井植歳男氏のことが気になって、いろいろ調べていました。 あはは‥それで、いつものコメントは明日に回します。 (まいど)悪しからず。 鎧崎桜ヶ丘英霊墓地です。ここの海(鎧崎)で、宝塚海軍航空隊予科練習生の若き命が断たれました。 昭和20年8月2日、鳴門海峡を越えようとした若者たちが米軍の急襲にあって、82名が戦死しました。 15、16歳だと分かると、彼らの命を無駄にした日本という国の責任を問わざるを得ません。 なぜか、井植歳男氏の名前が気になって、調べてみました。あの三洋電機を創った人です。 淡路島生まれで、海とも関係の深かった人だということが分かりました。もちろん、「三洋」も海との関わりでつけられたものです。 地元の名士ゆえに、この墓地の発起人代表(大願主)にまつりあげられたと想像できますが、海の男でもあったことで感じるものがあったんだと思います。 戦後の財閥解体にあった際に、潔く自ら身を引いた事など、並みの人ではありませんでした。 大鳴門橋の真下の渦潮と観潮船が見えます。観潮船は阿那賀港ではなく、福良港から出ています。 ずっと前に体験していますが、渦潮の迫力は船から観るのが一番に決まっています。 道の駅「うずしお」です。ここの「あわじ島バーガー」が日本一になったと宣伝していましたが、わたしが食べたのは「玉ねぎソフト」でした。 |
第7回<道の駅うずしお〜吹上浜>
14.4km 2014年10月18日 最もアップダウンのあるコースでしたが、何とか乗り切りました。 車道を避けて、近畿自然歩道を歩いたり、某ホテル専用とも言うべき車の通らない道を歩いたりしました。 山の上から海を眺めたり、大鳴門橋を遠望するコースでもありました。 ウォークの始まりです。潮が引くと淡路島と繋がる砂州が登場します。伊豆にある堂ヶ島の三四郎島を思い出します。 観潮船の出る福良港が道の駅になっています。ここまで約7km(行程の約半分)歩いてから、バスに乗って、なんとスタート地点の道の駅うずしおに引き返しました。お昼はいつもお弁当でしたが、今回は道の駅のレストランで戴くことになったそうです。美味しかったのですが、どうも引き返すのは勘弁して欲しいと思いました。福良港で昼食‥がフツーだと思います。 ホテル専用の風力発電がある丘の上から、ゴール地点を眺めたものです。海岸部の青い建物に近い神社がゴールでした。なお、風車を回すのにも電力がいるそうで、現在は風力発電を止めているそうです。 ホテルの前に広場があり、そこに句碑が建てられています。その方は、淡路島の生まれで、27歳で旧制洲本中学校の校長となったそうで、何の問題もなく、それをステップにしてますますのご活躍だったようです。近ごろの大阪市における民間校長の不手際のことを考えると、さっぱりワヤでございますね。選んだお方に問題ありとしか言えませんが。 若布はわかめで、撫養は鳴門市(徳島県)のことと説明しています。 同じ広場から撮りました。大鳴門橋は(これで)見納めになりそうです。 |
第8回<吹上浜〜土生(はぶ)港> 12.2km 2014年11月29日 淡路島の最南端を歩いています。地図を開いて、ようやく、それを悟りました。心配していた雨も降らず、快適に歩くことができた次第です。 昼食を食べた「阿万海岸海水浴場」。地球の丸さが現れているのではなく、毎度のことですが、わたしが傾いているだけです。 上り、上り、上りが続いたあと、下りに変わった辺りです。淡路島の南に浮かぶ沼島(ぬしま)です。その昔、「沼島の春よ再び!」で有名になった島です。わたしの好きな番組でした。 沼島に向かう船が出る土生(はぶ)港です。ちなみに、ここは漁船が集まるところです。 ちなみに、伊豆大島の「はぶみなと」は「波浮港」と書きます。 三日おくれの 便りをのせて 船が行く行く 波浮港♪ 鳶がくるりと輪を描いた‥てなことでしょうか?ものすごい数です。カラスは不気味ですが、鳶なら許せます。(単なる個人的な思いです‥) 「沼島行のりば」がありました。今日のウォークは、12.2kmでした。 専用の桟橋です。来月はここから船に乗って沼島に行き、第9回淡路島一周ウォークを行います。 |
第9回<沼島> 8km 2014年12月13日 土生(はぶ)港から土生汽船に乗って、沼島に渡りました。一日10便、所要時間は10分です。 「沼島の春よ、再び」で全国的に有名になった島です。 漁業の島で、ハモ・鯛・ふぐ・伊勢エビなどが豊かに採れるようです。 山の中の道は8kmではありますが、これまでで最も厳しい上り下りがあるという説明がありました。 あはは‥行くしかないでしょう。 万歩計によると、実際には10kmを超えていたと思います。 上り下りの続く山道(稜線)を歩きました。117mの灯台のある最高地点まで上りながら、沼島中学校近くの公園まで下りてきて、次のおのころ山に上る(ここだけは本当にきつかった‥)わけですから困ります。 総勢45人ばかりがガイドさんの説明を聞いています。ここから山登りがスタートします。 おのころ山の上から撮った「上立神岩」なり。これで十分だと、無理やり納得しています。岩の真ん中のハートが見えるでしょうか? おのころ神社から港に向かって下りていきます。104段の階段なり。下りの方がきついですね。 |
第10回<土生港〜中津川組> 8km 2015年1月17日 ちょうど阪神・淡路大震災から20年目の日に、淡路島までやってきました。 バスで移動するとき、震災でなくなった人のために自前の黙想をさせていただきました。 今日は土生港(南あわじ市)から中津川組(洲本市)まで、淡路島南部の海岸に沿って歩きましたが、いつになく早足だったようで疲れました。 あられが何度か落ちてきましたが、傘もカッパも使わずに済んだので、助かりました。 ちょうど10年前にマイカーで訪れたところです。そのときは、(満開の)見事な水仙と出会うことができました。 赤いコーンの向こうは有料(500円)です。山に登り、下りてくるコースですし、30分しか時間がなかったので、今回は登るのをやめました。 山を下りてきくる人が写っています。見ての通り、水仙は満開ではありません。 水仙の向きがこちらだったので、とりあえず、マシな写真だと思います。 一番近い水仙をズームイン。できたてのほやほやの水仙なり。 ここから洲本市という看板を撮ろうとしましたが、突然ガイドさんが邪魔になったようです。 「モンキーセンター」の入口です。小休止だけで、お別れしました。野生の猿が何匹も山から下りてきました。鹿もいましたね。 終点は中津川組です。ちなみに「中津川組」は地名です。「畑田組」「相川組」というのもありました。 |
第11回<中津川組〜生石公園>10.7km 2015年2月21日 たぶん淡路島15コースの中で1,2番の難コースだったと思われます。 距離は短いのですが、高低差が半端ではありませんでした。 せっかく登っても海岸部まで降りて昼食を摂り、再度100mを超す山、生石(おいし)公園に登りますから大変でした。 あと4回は平坦な道ばかりですから、これで難所はお終いかと思われます。 以前に訪ねたことのある「立川水仙郷」は(今日は)山の上から覗き見をしただけでした。 最後に訪れた、紀淡海峡を望む生石公園からの眺望は、とても良かったですね。 1,「灘黒岩水仙郷」と並ぶ「立川(たつかわ)水仙郷」とTV番組「探偵ナイトスクープ」で紹介された「ナゾのパラダイス」です。 入口からずいぶん下っていきますが、たいていは車で行きます。 2,上の道路から、下に広がる水仙郷を撮りました。 3,ニホンスイセンとは違う種類の水仙があるはずです。なんとか記憶しています。 4,由良の港までやってきました。ここで、遅い目の昼食を戴きました。海岸の堤防から、目の前に「友ケ島」と加太の海岸が見えました。 5,由良の港の前に、成ケ島と繋がっている灯台のある島があり(淡路橋立といいますが)、幕末の頃から太平洋戦争まで砲台が造られました。 右の山の上にも立派な砲台が造られたようですが、実際には使われることもなかったようです。 6,山の上の砲台(ここは第1砲台なり) 7,砲台の説明です。なお、第5砲台まであったようです。 8,山の上から見ると「淡路橋立」がよく分かります。 |
第12回<生石〜洲本港>11.5km 2015年3月14日 淡路島の南東を歩きました。 朝出かけに雨が降っていたので傘を持参しましたが、ウォークのときにはバスの中へ。 こんなときに限って雨がパラオパラ降ってくるものです。おかげさまで、すぐに止みましたが‥。 昼食は、コンビニの駐車場に泊めたバスの中で戴きました。 このコンビニで全員分のお茶を購入しましたから、文句はないでしょう。 なお、この店で(完歩の際に戴く)スイーツも買いました。 確かに、近ごろのコンビニはスイーツにも力を入れていると感じましたね。 ひたすら北に進むだけの11.5kmというのは、アップダウンがなくなって楽になりましたが、とても長く感じるものなり。 スタート地点の由良湾。漁船が近づいてきます。どんな船であれ、船の写真は好きです。 洲本温泉の近くで、釣人に出会いました。釣れそうな気配はありませんでした。 ゴール地点の洲本港です。桟橋に泊まっている船をよく見ると、水産庁の船でした。 振り返ると、山の上に洲本城が見えます。おもちゃのような、ちっちゃい天守だと思いました。登るのはもう嫌ですから。 |
第13回<洲本港〜生穂新島>13km 2015年3月14日 淡路島の東海岸を歩き、洲本港(洲本市)から津名港(淡路市)を過ぎ、生穂新島公園(淡路市)まで歩きました。 曇りあるいは晴れとなり、寒くもなく、暑くもない。快適なウォーク日和だったと思います。 「おのころ愛ランド」の時代に、子供連れで何度か訪れました。 途中休憩をした「淡路御菓子館」のなかに、無料の飲料コーナーがあった。お茶、コーヒーもあるが、マンゴージュースと玉ねぎスープを戴いた。 サザエではないかと思ったが、間違いだった。 |
第14回<生穂新島〜東浦>14km 2015年4月9日 予想に反して、午前中は雨が降らず、午後にはしっかり雨が降りました。 これまで一度も雨に合うことがなかったのが不思議だったと思うことにします。 持参のカッパは使用せず、傘だけで済みました。 ひたすら、平坦な道を北上するだけでは単調すぎて、なんだか、少々疲れました。 第14回<生穂新島公園〜東浦>が終わり、いよいよ来月が最後となります。 昼食休憩の場所近くで、新タマネギ200円の買い物をしました。また、(別の)無人の店で、カーネーション200円を購入しました。外国に、こんなお店はないでしょうね。聞いてみたい気がしますが、言葉が分かりません‥。 1列になって、海岸沿いの道を歩く。岬の上にうっすらと観音さんが立っているのが分かるでしょうか? 世界平和大観音というのが正式な名前のようですが、持ち主は借金を抱えて亡くなり、遺族は相続を放棄し、いまや近隣の人たちの迷惑になっているものです。問題を解決してくれる奇特な方は現れないでしょうか? ゴール地点である道の駅「東浦」ターミナルパークなり。ここで、ソフトクリームを買いました。 |
第15回<東浦〜道の駅あわじ>10km 2015年4月9日 本日が最終回でした。旅の最後に、感想なるものを書いたわけですが‥ 「旅費の9,990円は高すぎます。こういうのをぼったくりと言います。」 「最後だから、美味しい弁当が出ると思っていました。残念です。」 怖いものがなくなると平気でこんなことを書きます。そんなわたしが残念です。 昼食の前に、「鯛おどる館」に立ち寄りました。行き過ぎて、引き返しました。 買ったのは、玉ねぎ天・たこ天・いか天です。3つで1,000円に惑わされました。 絵島の一番高いところに神社があります。平清盛の「大輪田泊(おおわだのとまり)」建設にまつわる秘話がありました。多くの方々の身代わりになり、人柱となった松王丸を祀ってあるそうです。 道の駅あわじにて:ゴールテープが張られました。とても嬉しい仕掛けです。 最後に記念撮影に応じた方々です。本来は40名以上が参加していました。わたしをお探しください。 15コース全てを回った証拠のシールです。15(淡路島14+沼島1)コースです。 最後にいただいたのは、やがて消えていく、ふつーの完歩証明書でした。 |